セイコー ロードマーベルの歴史を徹底解説!初の国産高級時計誕生の背景とその変遷

かつて、セイコーにロードマーベルという機械式腕時計が存在した。ブランドの廃止からすでに40年以上経過している。

だがロードマーベルの人気は今なお衰えを知らない。

中古腕時計市場においてロードマーベルは根強い人気を誇るアンティークウォッチの一本なのだ。

いったいロードマーベルの何が私たち腕時計ファンの心をつかんで離さないのだろうか?

その誕生と変遷をひも解いていこう。読み終えたころには入手したくなること請け合いだ。

ロードマーベルの誕生とその歴史的背景

ロードマーベルが誕生したのは1958年(昭和33年)。『経済白書』が「もはや戦後ではない」と高らかに宣言したのは、その2年前の1956年。

日本はまさに高度経済成長期の真っ只中にあった。焼け野原と化した国土を立て直し、敗戦後の荒廃や混乱から脱却しつつあった当時の日本人男性が、自信と豊かさの象徴となる高級腕時計をその右腕に欲していたことは想像に難くない。

だが、ここで主役のロードマーベルを登場させるに先立って、その前身となるマーベルについて簡単に触れておく必要がありそうだ。

マーベルが製造開始されたのは、先述した『経済白書』が出された1956年のこと。

ヴァシュロン・コンスタンタンのフィフティーシックスの出自であるref.6073とちょうど同い年である。

センターセコンド、ノンデイト、手巻き式を基本的な特徴とするマーベルは、一見するとデザインもメカニズムも、ごくありふれた平凡な腕時計に思える。

しかしこのシンプルな腕時計が爆発的なセールスを記録した。

当時の国産腕時計の平均的な日差は2~3分、時刻を合わせた途端に狂い始める個体も珍しくなかった。

そんななかマーベルは平均日差30秒という驚異的なレコードを叩き出したのだ。

開発したのは諏訪精工舎(現セイコーエプソン)の中村恒也(彼はクォーツ式腕時計の生みの親でもある)。

従来よりも一回り大きなムーヴメントを採用することで、テンプの大型化と、合理的で無理のない部品の配置を達成したのが成功の要因だ。

またたく間に325万個以上を売り上げたマーベルには、ムーヴメントにも文字盤にもさまざまなバリエーションが生み落とされた。

17石から21石まで、オーソドックスなバーインデックスからミステリークロック風のものまで。

この余勢を駆って1958年に誕生したのが、マーベルの君主たるマーベル、すなわちロードマーベルである。

マーベルのムーブメントをベースにしているが、歯車の軸に受け石を追加しており、石数は一気に23石に増えた。

34ミリケースの、通称「はまぐり型」のスナップ式裏蓋を開封して、マーベルのムーブメントと比較してみよう。

角穴車や丸穴車に施された飾り溝、エッジの立った磨き、シリアルナンバーの刻印……、妥協を許さないものづくりへの姿勢がはっきりと見て取れる。

外装もまた「国産初の高級腕時計」の名に恥じない仕上がりを見せている。

立体感のある植字インデックスは、セイコーの腕時計では初の試み。

誇らしげに彫り込まれた”Seiko Lord Marvel”のロゴ。インデックスまできちんと届いた視認性に優れたドーフィーヌ針は、マーベルでも採用されていたが、その取り付けと磨きには一段と丁寧な仕事ぶりが光る。

同時代のスイス製高級時計にも決して取らない完成度である。

ご参考までに1960年当時のロードマーベルの価格はSSが10,000円、14金張りは13,000円、18金無垢は26,000円。

この時代の大卒の平均初任給が13,000円なので、今日の物価に換算するとおおよそ20~25万円前後の価格設定ということになるだろうか。



ロードマーベルの受難 グランドセイコーの登場と「社内競争」

「日本初の高級腕時計」として華々しくデビューしたロードマーベルではあったが、その地位は安泰ではなかった。

早くも2年後の1960年、同じ諏訪精工舎がロードマーベルの更に上を行く最高機グランドセイコーに着手したからである。

「世界に挑戦する国産最高級の腕時計をつくる」という明確な目標でスタートしたグランドセイコーだが、その実態は全くの新しい腕時計というよりもロードマーベルのコンセプトをより明確化したものだったと言えるだろう。

ではなぜロードマーベルの後継機種としてではなく、グランドセイコーという新たな装いが必要だったのだろうか?

ここには諏訪精工舎と当時ライバル関係にあった第二精工舎(現セイコーインスツル)の存在が見え隠れしているようだ。

マーベルに遅れること2年、すなわちロードマーベルが産声を上げた1958年、亀戸の第二精工舎はマーベルを凌駕するクロノスを売り出していた。

形成が逆転した諏訪精工舎は翌1959年、ただちにマーベルの改良ムーヴメントのクラウンをリリースする……。

国際競争や国内競争だけでなく、こうした社内競争による切磋琢磨が、セイコーの技術革新の原動力となったのは興味深い。

グランドセイコーの登場によって「最高級品」から「準高級品」に格下げされたロードマーベルは、必然的にレベルダウンを余儀なくされた。

第一世代から何が変わったのだろうか? まず中身のムーヴメントは、GS同様クラウンに置き換えられた。

キャリバーの大型化に伴い、ケースは1~2ミリ大きい35~36ミリとなった。

またストップセコンド機能が追加されており、実用性に関しては一段と向上していると言えるだろう。

しかし飾り溝の廃止、彫り込み式からプリント式となった”Seiko Lord Marvel”のブランド銘など、残念ながらいくつかのコストカットも散見される。

 

さらなる高精度化へ ロードマーベル36000とクォーツショック



しかしロードマーベルは不遇の晩年を過ごしたわけではない。

1968年、国産腕時計で初めての手巻き式36,000振動(10振動)が搭載されるという栄誉に輝いたのは、グランドセイコーではなく我らがロードマーベルだった。

36,000振動のクロノグラフで名高いゼニスのエル・プリメロの発表が1969年。

セイコーのテクノロジーはスイスの最先端に追いつき、追い越しつつあった。

画期的なムーヴメントの性能に合わせ、デザインも大きく変化した。

とりわけ植字アラビアインデックスのタイプは、そのブレゲ数字を思わせるフォントといい、計器を思わせる佇まいといい、まさしく高精度時代のロードマーベルを象徴するピースと言えよう。

6時位置には”LORD MARVEL 36000”が誇らしげに踊っている。文字盤にはうっすらと絹目紋様が入っているのは、視認性を高める工夫の一環だろう。

なぜ諏訪精工舎はフラッグシップたるグランドセイコーではなく、ロードマーベルに36,000振動搭載の栄誉を与えたのだろうか?マーベル~ロードマーベルに対する技術者たちの愛着だろうか。

実は高振動ムーヴメントは、それだけ部品の摩耗が早くなるため、耐久性にかなりの難がある。パワーリザーヴが短くなる欠点もある。

今日こそゼニスやブレゲや(シチズン傘下)のフレデリック・コンスタントが36,000振動を大きく上回るムーヴメント開発に成功しているが、製造コストがかかるので、まだごく一部のモデルに限られているのが現状だ。汎用ムーヴメントで36,000振動は未だに「ハイビート」なのである。

グランドセイコーの前に、まずは準高級機のロードマーベルでテスト走行してみたかったというのが当時の諏訪精工舎の本音だったのではないだろうか。

しかしほどなくして諏訪精工舎の主力選手は、世界初のクォーツ式腕時計アストロンに取って代わる。当時の価格は大衆車よりも高額な45万円。

だが大量生産が可能なクォーツは数年も経たないうちに普及価格まで下落し、日本人ひいては世界中の人々に精確な時刻をあまねく提供する使命を負いながら今日に至っている。

開発者は中村恒也。ロードマーベルは奇しくもマーベルの開発者の手によって、その役割を終えたのだった。

とはいえカタログからロードマーベルが完全に消滅するまで、まだ10年近い月日が残されていた。

当時、機械式時計に「趣味性」の側面はまだ見出されていなかった。つまり朝起きて、りゅうずを巻き、時報を聞きながら針を合わせるという身体的営みが過去のものになるまで、それだけの歳月が必要だったのだ。

安価で、クォーツには遠く及ばないまでも実用に耐えうる精度をかろうじて保っていたのが吉と出た。

1988年、バブル景気が最高潮を迎えつつあった昭和時代最後の年、グランドセイコーは年差±10秒のクォーツを搭載した95GSとともに復活する。

しかしロードマーベルのクォーツモデルはついに登場しなかった。マーベル~ロードマーベルに、クォーツショックの余波で工場閉鎖を余儀なくされたブランパンを重ねてしまうのは筆者だけだろうか。



おわりに:ロードマーベルの市場価格と購入・使用時の注意点

以上、駆け足でロードマーベルの歴史をたどってきた。

高度経済成長期とともに「国産初の高級腕時計」として華々しくデビューし、その高度経済成長期と機械式時計の終焉とともにひっそりと姿を消したロードマーベルは、まさに昭和の「集合記憶」を体現する腕時計の一本である。

企業の都合で有為転変を余儀なくされた運命にも、サラリーマンの悲哀じみたものを感じさせる。

ロードマーベルの根強い人気を支えているのは、プロダクトそのものの魅力もさることながら、時計の背後に見え隠れする激動の歴史なのではないだろうか。

最後に簡単なロードマーベル購入ガイドを付してこの記事を閉じたい。

アンティークウォッチ専門店やインターネット上のオークションサイトでは、常時それなりの本数の個体を目にすることができる。

年式もコンディションもかなりバラつきがあるため、一概に平均価格を出すことはできないが、第一世代の14金張りが10~20万円、第三世代の36,000のSS製が5万円程度である。

個人出品の場合はこれよりも格安だが、事前にアフターメンテナンス先を確保しておく必要がある。

また防水性能と耐磁機能はないものと心得ておくべきだ。仮に後期の36,000振動であっても、精度に期待するのも禁物である。

同時にそこまで神経質にならなくてもいいのではないかという気もする。スマホやスマートウォッチでの時刻確認が主流となった今日、機械式時計の実用的側面は大きく後退した。

ならばいっそのことファッションとして、激動の時代の「歴史的証人」として、気軽にロードマーベルを着用してみるのも悪くない。

価格は高騰しつつあるようだが、まだまだグランドセイコーに比べれば格安だ。

個体数も豊富なので、注意深く探していれば掘り出し物が出てくるチャンスもありそうだ。ぜひあなただけのロードマーベルを見つけて頂きたい。