時計の聖地スイス。スイスが時計の聖地だと呼ばれるまでの歴史を紐解くことでスイスがなぜここまで発展してきたかを知ることができます。この記事ではスイスがなぜ時計の聖地として発展していったのかをまとめます。
時計の聖地として発展していったのは実は宗教改革が原因!?
「時計といえばスイス」が常識になっています。元々は宗教革命のときにフランスから逃げてきた宝石職人たちが時計造りを始めたのがきっかけと言われています。
屋根裏をアトリエとし暖かい季節は農業を、作物が育たない寒い季節は時計造りをしていました。彼らのことをキャビノチェと呼ぶのは、屋根裏部屋を意味するキャビネットが語源です。
その後フランスとスイスを分断するジュラ山脈に沿って時計ブランドが増えていき、スイスは国を挙げて時計産業に取り組んでいくことになります。
スイス時計産業の中心はフランス寄りの地域
こうした歴史が理由で、スイスの中でもフランス寄りの場所が時計産業の中心地になっています。特に時計産業で知られるジュラ山脈、ジュネーブ、ラ・ショー・ド・フォンはかなりフランス寄りの地域です。
ジュラ山脈とジュネーブでは多くのブランドが立ち上がり、ジュネーブと文字盤に入れることが時計にとってのステータスの象徴とも言われています。
ちなみにラ・ショー・ド・フォンは時計産業の発祥の地と言われており、屋根裏部屋で時計造りがしやすいように碁盤の目のような街並みになっています。
画像引用:Wikipedia
ジュネーブで多くのブランドが誕生した
スイスの時計産業は横分業と言われており針専門メーカー、文字盤専門メーカーなど多くのサプライヤーの部品を組み合わせてつくられています。
中でもETAと呼ばれるムーブメントメーカーの製品は評判がよく、今でも世界中の時計に使われています。そうすることで時計ブランドは設計と組み立てをするだけでよくなり、さらに時計ブランドの数は増えていきました。
かつて山間に建つアトリエのようだった時計ブランドは大きな工場を造ることができるようになり、マニュファクチュールと呼ばれる社内一貫生産も可能になりました。
特にジュネーブで多くのブランドが起ちあがり、ジュネーブ産の時計というブランド価値が生まれました。文字盤に『Geneve』の文字を入れるためにジュネーブに引っ越してきたブランドもいるほどです。
ジュネーブで生産された部品だけを使用し規定品質を超えた時計だけが許されるジュネーブシールといった規格も存在します。こうしてスイスは時計の聖地として知られていくようになりました。
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